41度の告白

紅茶と猫が好き。日記、時々まんがと本の感想。

かなしさは誰のもの

 

かなしいかなしい

 

最近どこを見ても悲しいニュースばかりだ。

 

ほんとうに、理不尽な事件が多くなっているのか、

 

それとも、私たちが悲しい事件に簡単にアクセスすることができるようになってしまったのか

 

この前のハンセン病元患者の家族への補償を巡る裁判で思ったように、国が控訴しなかったのも「選挙前だからだろ」とか談話もパフォーマンスかな、みたいな見方をしてしまう、自分がかなしいのか、

 

わからないよね。

 

わからないし、根本は一つじゃないんだろうな。

 

今回の事件も、思うところは色々あって。

 

どうしてもツイ巡りしては、「この視点はなかったな…まだまだ勉強不足なの反省」

とか「こんな理不尽な視点があってたまるかよ」みたいなツイートまで、たくさんの人がこのことについて語っていて。

もちろん、語らない、語れない人もたくさんいて。

 

わたしは「かなしい」とツイートすることを選んだ。

 

これに関して何か思う人や不快に思うひとがいるかもしれないけど、これが私の選択です。

私はあまり強い人間ではないので、もう一人では抱えきれないのです。

でも本当にかなしむだけでなくて、もうずっと考えている。まだ消化しきれない思いがたくさんある。

 

まだまだ、終わっていないから。