41度の告白

紅茶と猫が好き。日記、時々まんがと本の感想。

脈々と祈りを

どうやら世間はGWで、平成が後2日で終わるらしい。どうも朱音です。

 

ゼミ発表を控えている以外に、日常に大きな波はありませんが、世間がそわそわしているというか、非日常ムードの漂う感じはきらいじゃないです。自分の日常に浸食してくるかは別としてね。

 

 

一保堂のほうじ茶を飲みながら、清家雪子月に吠えらんねえ』7巻を読む。

実をいうと、5以降は一回読みなので、読み直して整理しなくちゃなあとは思っている。

 

5巻辺りから続いていた、描こうとしている最大テーマ「詩人の戦争責任」についての、少しの収束点が見えたような。

 

兵士として国のために戦うことが男としての全てであった時代に、戦う身体を持ちえなかった彼ら詩人が、言葉を生み出すことでしか生きられなかった彼らが、戦時下という状況の中で行き着く先は。

 

「僕たちは祈りだったはずだ/死んでいくきみたちは/偉大なものの一部なんだって/犬死になんかじゃないんだって/無意味なんかじゃないんだって/最後まで信じ抜くから/この国は偉大だと/叫び続けるから」

 

「僕たちは祈りだった」

 

墨で潰した教科書を彷彿とさせる、黒々と塗りつぶされた戦意高揚歌。

「それは罪なの?」

 

□街に突如現れ、朔を宿主と決め居続けた「縊死体」

だれもが彼らを産める言葉を持ちながらも、戦争歌を作った「意識」を忘れて生きていた街の詩人たち。

自ら、一身にすべてを「罪」として背負おうとする朔。

何度も戦地を巡り、朔のように時間を巻き戻す現象を持たない犀。そして未だ、彼の顔を描くことはできない。

 

あと、4ぺージにまたがって、万葉から乃木希典までのうたを「昔からあった言葉/昔からあった思い」と綴る場面があるのアツい。

古来からの言葉の蓄積を引き受けつつ、時にはそれらに起源を求めながらも、新しい言葉を渇望していく。

 

ほんとに、どこをとっても一筋縄じゃいかない。どの表現も、漫画のあらゆる技法と詩との共存を介して、ほんとに大きなテーマに立ち向かっているから。

もっと書きたいのだ…。